ラドム・イスカンダール万亀子様が「春の叙勲」の栄に浴されました

平成26429日、日本国政府の平成26年春の叙勲において、在留邦人への長年の福祉向上への功労をたたえ、バリ日本人会長のラドム・イスカンダール万亀子様に勲章(旭日双光章)が授与されました。

万亀子様は、バリ日本語補習授業校の終身名誉校長として、また、(財)バリ日本友好協会理事長として、子どもたちの教育環境の向上、さらには、日本とインドネシアの友好親善にも弛まぬ御尽力をなさっています。万亀子様の御受章はバリ日本語補習授業校の誇りであり、バリに在住する私共皆にとっての誉れでもあります。

去る531日には、在デンパサール日本総領事館総領事御夫妻をはじめ館員各位の御列席のもと、バリ日本人会運営委員会、バリ日本語補習授業校及び保護者会主催の祝賀会を行い、万亀子様の輝かしい栄誉を祝し、共に喜び合いました。

この喜びを胸に、バリ日本語補習授業校は「世界の懸け橋となる人材の育成」という理念をさらに高く掲げ、子どもたちの教育に専心して参ります。

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(以下はご本人からのお言葉です)


バリ日本語補習授業校関係者の皆さま

  

   (財)バリ日本友好協会理事長 ラドム・イスカンダール万亀子

 

このたび日本政府から叙勲「旭日双光章」を頂戴しましたことは、私にとって本当に大きな驚きでございました。また感謝の気持ちで一杯です。デンパサール総領事館の私の「旭日双光章」叙勲への推薦理由として「日本語補習授業校への貢献」とおっしゃって頂きましたが、日系人や日本人の子ども達の教育を担う重要かつ複雑な組織にあって私一人で行えることはじつは本当に微々たるものでした。今迄もこれからも現在も、未来を担う子供たちを持つ保護者の方々の熱い思い、同じくボランティアの方々の真摯なご活躍、多方面から寄せられる暖かいご支援があったから続いた活動であったことを思い、ここに心からの感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 

初めて補習校に関わらせていただいた1990年代初めの学び舎はまだ旧所にありました。小さな長屋風建物を賃貸しそれを教室に仕立てたものです。生徒たちの送迎はその多くがオートバイという状況でもあり、補習校の規模自体大変小さなものでした。しかし当初から子供たちの教育に対する保護者の方々の思いは熱く、私はそこに大変感動を覚えたものです。こんな私でも何かお手伝いはできないだろうかという思いに突き動かされたのも保護者の方々のその熱意でした。素人である私の申し出が許され週一回の習字の教師をさせて頂くようになりました。決してお習字は得意ではない私が何故そんな大それたことを申し出たのかと、今でも思い出すと赤面します。あったのは「私も補習校の子供たちのために何かをしたい。何かできるのではないか」という思いだけだったように思います。

 

週一度1時間の授業ではありましたが、多くの時間をそのための準備や予習に費やしました。道具も満足ではなく日本へ行く度に「お習字セット」と言われる硯・文鎮などの練習道具一式入りの手提を抱えて帰国しました。時折日本からバリに来られる方には「お土産」に「お習字セット」をねだりました。私のお習字教師は1年間の奉仕でしたが補習校との強いご縁を深めた大変貴重でありがたい体験でした。その時の生徒さんたちは、今や立派な社会人となられ幸せな家庭を築かれ、または、さまざまに活躍していられます。その姿を拝見する度に、彼らと過ごした時間を懐かしく思い出し本当に幸せを感じますと同時に、時間の過ぎ去って行く速さに驚かされることも多くなりました。

 

保護者の皆さまの熱意に感動したことはこれだけではありません。生徒数増加に伴い手狭になった補習校移転問題が浮上した2000年のことです。母体であるバリ日本人会には「補習校移転建設委員会」が発足し定期的に会議が開かれました。15人程のメンバーの一人として私も出席しておりました。保護者の皆さまもバリの炎天下、徒歩で好条件の補習校候補地探しに奔走されては会議に提案されるのです。ですが、現金による「待ったなし」の売買契約成立が常であるこの国にあって日本とは大きく異なる不動産取得方法の違いが壁になりました。そのスピードに乗れないのです。好条件の候補地が会議で承認されてから交渉開始をしても既にその物件は契約済みとなっているという状況に私達は毎回“大きな鯉”を逃がした悔しさを味わいため息をつきました。それでも保護者の皆さまの熱意は途切れることなく続きました。異国で子育てをする親として祖国日本への思いと日本人の血を引く我子の教育への熱意と真剣さに私は日本人会の一員として強く心揺さぶられる思いがしました。何とかならないか、何とかしたい、再びあの時の思いが湧いてきました。

現在の補習校の敷地を10年間無償でお使い頂きたい、という当時の私の思いは、前述のような補習校を守ろうと手弁当で奔走努力された多くの保護者の皆さまの熱意に後押されたものです。その時の私の提案に、亡き夫ラドムが心から賛成し賛同してくれたこともとても嬉しく今も温かく思い出されます。

 

補習校にはさらに嬉しいことが続きました。当時は、Ngurah Rai 空港の拡張工事完了の時期を迎えた日本の大手ゼネコンさんの耳にこの話が入りました。そのことで空港工事中使用したハン場の鉄骨提供と同時に、「その建材を利用して補習校校舎も建ててあげましょう」という夢のような申し出を頂戴しました。本来なら鉄骨等資材は解体後持ち帰るものです。おかげで私たちは原材料の調達をしただけで現在のような立派な学び舎が出来上がったのです。本当に奇跡のような出来事でした。

 

年月と共に国内外にも補習校の趣旨に賛同して下さる方々が増え、校歌を作詞して下さる方がいらっしゃればその詩に曲をつけてくださる専門家も。子どもたちの遊び場・避難階段・いこいの広場・ピアノやソファーの寄付。多方面からの維持費の寄付。また「自宅用のついでに買って来た」と補習校へ運んでくださるトイレットペーパー・事務用品類など。まだまだ書き切れないくらいの温かい思いに溢れた補習校の再スタートでした。

 

以上のように現在の補習校内のどこもかしこにもそれら寄せられた善意の方々の思いが詰まっています。また総領事館を経由し日本政府からも教材や国庫補助金の援助を頂戴しております。201310月には、安倍総理大臣昭恵夫人も子供たちへのお土産を抱えて補習校を訪ねて下さいました。たまたま我が補習校の庭に咲くカンナの由来を夫人から伺い皆で感動しました。焦土と化した戦後広島の地で一番先に花を咲かせたという真っ赤なカンナのお話でした。今も真っ赤に咲く補習校の校庭のカンナ花を見るたびに補習校で育つお子さん達が、どうかカンナ花のように逞しく強く生きて欲しい、幸せであって欲しいと願うばかりです。

 

このように多くの方の愛とご支援に支えられて来たバリ日本語補習授業校です。バリ島で子育てに励む保護者の皆さまの思いと努力と行動力、また応援し協力してくださる多くの方によって支えられ、今日も補習校では幼稚園から中学校までの300人近くの生徒たちが元気に集い遊び学んでいます。日本とインドネシアの両国の文化と言葉を身に着けた優秀な子ども達です。

 

西洋には“Where there is a will, there is a way”という言葉があるようですが、このように補習校の歴史を振り返るとき、変わらずに寄添い頑張っていられる保護者の皆さまの意思の力を感じるとき、私はまさに「意思のあるところに道が開ける」のだとの思いを強くしています。

 

このたびの叙勲は私の人生にとって大きな喜びとなりました。また身に余るこの受章を機に、祖国日本とインドネシア・バリ島の架け橋となる「地球の子」を生み育むバリ日本語補習授業校をこれからも応援して変わらない交わりを続けさせて頂きたいと気持ちを新たにしております。

 

どうそ皆さま、これからもバリ日本語補習授業校へ変わらないご支援とご協力をお願い申し上げ

ます。

 

本当にありがとうございました。 

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